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2009年7月 5日 (日)

「共通サイズの服」型教育の終焉?

これは「フリーエージェント社会の到来」のなかから、孫引きになります。

「社会学者のマーシャル・マクルーハンは、学校は『子供を放り込んで加工する均質化装置』であると書いている」

この書籍は学校を否定しながらも、学校がもたらした功績は認めている。つまり産業革命から現在までの経済的発展に貢献したことはしっかりと肯定している。

私の考えとしては、教育もフリーエージェントにあわせてシフトする必要があるのではないかともいます。働くあり方が変われば当然それの元となっていた教育も働き方にあわせるのが普通である。

日本だけを見てみると、第一段階である教育が始まった段階(寺子屋など)、第二段階の国として教育制度が確立されてきた明治時代の学制、第三段階としてそ れが発展してきた現在の状況、そしてさらに今フリーエージェント社会が目指しているのが第四段階の「共通サイズの服」を着せない教育になると思います。

だから別に今までの教育制度を批判するものではなく、その今までの教育制度があったからこそできるシフトと理解するといいのではないでしょうか。

しかしこの本を読んでいる限り、すべての教育がシフトするとは思えません。私の予測としては大体5:5=今まで:フリーエージェントのようになるのではないかと思います。

日本の場合ですが、そうなるとちょっと時間がかかるのではないかと思います。現にこの本が書かれたのは2002年で、アメリカはその時点で私が知っている範囲で2009年の日本よりフリーエージェントが浸透していると思います。

さらに頭のお堅いかたがたが、日本という国の上層部を牛耳っているような状況になってしまっています。だからその人たちが退いてからではないと、教育自体もシフトのしようが無いと思います。

軽く20年以上はかかる(世代交代を想定して)のではないかなと思います。世代交代も含めてフリーエージェントが住みやすい社会を確立させようとするには予想以上に時間がかかると思います。

そうなるとそれに付随した教育機関の遅れに気づくのに10年弱・・・と考えるとかなりの時間が必要になってきます。

だからもしこの本を読んで、自由に満足のいける仕事がしたいと思った人は、アメリカに行ったほうが早いんじゃないかと思います。

日本で活動しようとしてもいいかもしれませんが、もしそのような行動を移すことになればうえのほうから潰されてしまうのがおちじゃないでしょうか。

こてこての学歴社会、年功序列で生きてきた世代にはフリーエージェントなどは粗悪なものとして扱われるのではないかと思います。

だから教育自体すぐ変わるとは思えません。変わるとしても100%転換するとも考えにくいです。

でもフリーエージェント社会は応援していきたいと思います。

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2009年6月28日 (日)

通勤時間不要論

今回はちょっとお休みしていた「フリーエージェント社会の到来」から思いついたものを一つ。

ピーター・ドラッカー
「本当に必要なのは重さ一キロちょっとの脳みそだけなのに、どうして企業は80キロもの体を都心のオフィスまで30キロも運ぶためにカネを払うのか?」

果たしてこれは正しいのか?

賛否両論あると思います。

よくよく考えてみると、通勤時間というものは非常にムダがあります。

昔のブログからちょっと引用。

「40年間同じとこまで30分間往復満員電車通勤と考えると、9600時間満員電車の中で過ごすこ とになります。さまざまな要因を考慮して1000時間引くとすると、8600時間。日数で計算すると358日、つまり約1年です。」(道は開ける  FINAL PART・http://de-paz.cocolog-nifty.com/locoloco/2009/03/finalpart- 6906.html参照、3月11日)

通勤時間がなくなるということは1年自分の寿命が長くなるということを意味します。

様々な理由があるにしろ、個人として考えたときにこの1年は非常に長い時間になるのではないでしょうか。

時間だけが私たちに与えられた唯一平等なものであるのに対し、会社の規則に縛られ1年を棒に振るのには首を傾げます。

しかし通勤時間をうまく活用している人も多くいると思います。だから単純に全員が1年無駄にしているとはいえません。

これは企業としても通勤手当のコストとなるし、1日に1時間の空白の時間ができるため従業員のモチベーションも維持できる可能性が出てきます。

それからよく企業は住宅手当なるものを当たり前のように従業員に払っています。

単純計算します。

会社の規模:2000人
住宅手当:3万円
(例外:実家から1時間以内で通えるものは除く)
住宅手当をもらう資格がある者:社員の50%

とします。すると年間どれだけの費用になるでしょうか。答えは3億6000万円です。

企業からの視点で見るとたいした額じゃないかもしれませんが、ちりも積もれば山となるで、馬鹿にはできない数字だと思います。

もちろんこれ以外の1000人には当然通勤手当がつくので、その分の負担も負う事になります。そうすると大体4億は年間費用と消えていくこととなります。

どうでしょう、現在の社会を見回してみると会社のスリム化、節約などといってボーナスカットやら、社員の給料カットやら、いろいろありますが視点を変えれば(かなり抜本的な改革が必要になりその費用がかかるかもしれませんが)改善されるという可能性は無きにしも非ずです。

通勤時間の問題については今回だけでは書ききれない部分が多すぎるのでこれだけで一本の論文でもかけてしまいそうですね。笑

今回はまずここまで。

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2009年5月21日 (木)

自分資本の分散投資

これは「フリーエージェントの到来」という書籍に書いてあったことを簡単にまとめたものです。

なんでも、この本によると金融の投資の知識を自分に当てはめて考えるという手法があるというのです。

どういうことかというと、投資の定石は分散投資。100が0にならないように分けて投資をする。リスクをヘッジするのです。

それと同じことを働く人間単位で考えるのです。

考え方は簡単。一人の人的資本(自分)を一つの企業に預けないようにするのです。副業を持ったりする。もしくは会社に属さずさまざまなプロジェクトに参画する。などなど。

この本は2002年に書かれたちょっと古い本であるし、アメリカのことを書いているので日本人がこれを読んで鵜呑みにしないかどうかもちょっと不安でもあります。

しかし時代は流れています。この本が出版され7年たった今、フリーエージェント市場はどのようになっているか想像もつきません。

特にわが国日本ではこのフリーエージェントなるものが育ちにくい環境にあるのではないかと、アメリカの例を見て思いました。

ちょっと本の中身へと脱線しましたが、話を戻すと自分の企業への分散投資。

企業が自分を保障しきれなくなった今は自分で自分のみを守るしかない。偏った投資は破綻します。する可能性が高いと思います。

そのためにも、副業を認めるというのがあってもいいのではないかと思いました。でも自分が経営者だったらそれは絶対いやですがね。笑

そんな考え方も面白いものだなとちょっと思いました。

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2009年5月17日 (日)

本は知識の宝ではあるが・・・

本を読む上でちょっと気おつけなければいけないこともあると思います。

確かに本は知識の宝庫といわれるほど重要視されています。私もたくさん本を読もうと月に大体何冊読みたいかを決めています。特に本にお金を使うのには躊躇しません。

巷にはたくさんの本があふれています。どの本を読みたいか探すだけでも疲れてしまいそうになりますが、それはおいといて。

本を有効活用するには、批判と受入の両方をバランスよくすることが大事だと思います。

自分はわかっているからといって、本を見下しながら読んでしまってはそこから何も学ぶことはできない。

また逆に、本を100%信用しきっても危険性はあります。その本が読者に完璧に当てはまることはまず無いからです。

本に振り回されるのではなく、しっかりと本を活用するにはそれなりにBook Literacyを持っていたほうがいいということが言えると思います。

せっかく時間とお金をかけて本と向き合っているのです。本を利用してやるのが一番いいと思います。

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TQ~第十章~「奉仕の精神」を抱く

この章の基本的な考え方は「もしあなたが何かをたくさんもちたいとおもうなら、達成する最良の方法は、今もっているものを人に分け与えることなのだ」というものです。

これは自分も含めて与えることに抵抗感を持つ人にとっては躊躇することだと思います。だって今時分の持っているものを手放すことはそんなに簡単なことではなく、少なくとも勇気はいるはずです。

これって何かに似てないかと思ったら、投資に似ていると思いました。しかも信用度は不明です。そんな先の分からない投資などしたくはないのが普通の人だと 思います。究極は嫌いな人にも自分の持っている知識なりなんなりを与えなければいけないことになります。つまり倒産寸前なのに投資をする。こんなばかげた 話しはないと。

しかし金融と人間の世界は大きく違う。何が違うかは明言できないですが、人間の世界は基本的にマイナスになることは無いと思います。知識などをあげるとなると、それは伝えればいいだけの話であって、その知識はあなたから離れていくことはありません。

むしろ伝えることにより自分の理解が深まり、与えた時点で「理解の深まり」という利息を受け取ることがありえると思います。

さらにそこまで意地の悪い人でなければ、その人からなにかお返しを得ることができます。(注:もともと見返りを求めていてはダメです)そうなると自分が相手に与えたモノについて、それについての知識が増えるだけでなく、新しいものがついて返ってくるということになります。

だからこの本にある著者の話にある株価の話しもしっかりと理解できます。「周りに株を分けていなかったら、今の額にはなっていない」、独り占めしていたらXドルだったが、そのうちXドル以上の評価額にする。

見事な選択だったと思います。天晴。

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2009年5月13日 (水)

心の安らぎを発見する時間管理の探求

こんな副タイトルの本なのですが、これは普通のタイムマネジメント本ではないことがちょっと読んだだけで分かると思います。

私自身、タイムマネジメントの 本を読んだことがほとんど無いのでそこらへんはなんともいえないのですが、これは「7つの習慣」とちょっと似たようなところがあり、EQにも似たようなと ころがあります。

いってみればどの本にも基本的にはつながっているんだけどそれプラス、時間の管理に焦点を当てていると言うか、なんというかちょっとわき道にも 良くそれる本(時間管理の本として読むと)なのですが、しっかりと「心の安らぎ」の面では一本の芯が通っているのでそっちをタイトルにしたほうが分かりやす いのではないかなとも思いました。

今回はこの本から①「おっ!!」って思ったことと、②実践したほうがいいことの2つに絞って書いてみます。

まず、①からなんですが、これは感動しました。なににどう感動したかと言うとある人の言葉と行動にです。

簡単に説明すると、地位の低い人が高い人に向かって「地位や称号がないと、周りから上に立っていると分からないようではダメです」といったことです。かなり省きましたが簡略化するとこんな感じです。

称号よりもみんなに尊敬される。それこそがいいリーダーである。リーダーには2タイプあり、周りに対して内側から働きかけるリーダーつまり、自分から周りに対して、部下に対して何かを与えるひと。他方は権力を我が物顔で振りかざすひと。

どっちがいいかは・・・皆さんの自由です。

周りを見ても前者のリーダーのタイプは少ないのではないかと思います。少なくとも自分の周りの目上の人でこのような人をいまだ見たことがありません。残念ながら。

つまり、こんなリーダーがいい、こんなリーダーになりたい。まさしく前者のリーダータイプです。

次に②です。これはタイムマネジメント(TM)の本なので、それについて触れてみようと思います。

すでに実践されている人も多いと思いますが、一日の予定をその日の朝ほんの15分だけ考えるということです。これにはいろいろと踏まなければいけないステップがあるのですが、とにかく自分の価値観にあわせて、優先順位をきめて、それを元に15分だけ時間を使ってみる。

今日実際やっているのですが、本当に違います。焦点が合っています。わき道にそれない一日を過ごすことができます。なんて効率がいい。15分も時間が取れないと思うかもしれませんが、まーそんなのはやってみなければわからない。

如何に行動に移すかの大切さをこの本も説いています。個人的にもこれには賛成です。別に効果が出なかったり嫌いだったら辞めればいいだけの話。やるまえから決め付けるのは、もしそれが宝の山だったら・・・もったいない気はするのではないでしょうか。

こんなとこでしょうか。

この本はTMというか人生マネジメント。人生コンサル。そんなようなことをしてくれる本です。

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2009年4月21日 (火)

「お金は銀行に預けるな」勝間和代

「お金は銀行に預けるな」勝間和代

この本はとても面白いです。本書でいう金融知識がない人に当てはまる私にとって多少理解することが難しいところがあるにしても、非常に分かりやすい表現と たとえを使って金融という市場と構造はどうなっているかを説明しています。そしてそれを身近なものについて説明してくれています。

まだ最後まで読んでいないのでしっかりとした書評というものは書けませんが、現時点で目からうろこです。金融知識がない私にとって、非常に有益な書籍であ るといえると思います。この本で言っている、資本主義とは知識のない人から知識のない人のところへお金が流れていくシステムというのがシビアに伝わってき ます。

この本は、これだけを読んで満足できる内容ではないように感じました。個人的な意見ですが、これを一回読んだだけでほかの人にすべて説明するというのは不 可能です。実際やってみて不可能でした。ということは自分自身が金融の基礎知識というかすくなくともこの本で学んだことはしっかりと頭の中に入っていない ということを意味します。

そう考えると、この本だけで金融知識をつけるということは不可能ですので、私は不完全性を感じ取ったのだと思います。この資本主義システムを知ると、自分が損をするという気持ちに駆られるため更なる金融の知識について勉強をしたくなります。

この本はそんな金融に疎い人、知識のない人、金融を敬遠している人などを感化する影響力を持ち合わせていると思います。もっとも読者がしっかりと筆者と折 り合いをつけて読書をしている場合で、誠実に筆者の意見を尊重する人に限りますが。ということで今まで金融は・・・とか経済は・・・とかって思っていた人 には絶好の入門書というか、きっかけ本というか、いい出会いを提供してくれる本だと思います。

おすすめ度は95/100です。バリおすすめです。

この本はとても面白いです。本書でいう金融知識がない人に当てはまる私にとって多少理解することが難しいところがあるにしても、非常に分かりやすい表現と たとえを使って金融という市場と構造はどうなっているかを説明しています。そしてそれを身近なものについて説明してくれています。

まだ最後まで読んでいないのでしっかりとした書評というものは書けませんが、現時点で目からうろこです。金融知識がない私にとって、非常に有益な書籍であ るといえると思います。この本で言っている、資本主義とは知識のない人から知識のない人のところへお金が流れていくシステムというのがシビアに伝わってき ます。

この本は、これだけを読んで満足できる内容ではないように感じました。個人的な意見ですが、これを一回読んだだけでほかの人にすべて説明するというのは不 可能です。実際やってみて不可能でした。ということは自分自身が金融の基礎知識というかすくなくともこの本で学んだことはしっかりと頭の中に入っていない ということを意味します。

そう考えると、この本だけで金融知識をつけるということは不可能ですので、私は不完全性を感じ取ったのだと思います。この資本主義システムを知ると、自分が損をするという気持ちに駆られるため更なる金融の知識について勉強をしたくなります。

この本はそんな金融に疎い人、知識のない人、金融を敬遠している人などを感化する影響力を持ち合わせていると思います。もっとも読者がしっかりと筆者と折 り合いをつけて読書をしている場合で、誠実に筆者の意見を尊重する人に限りますが。ということで今まで金融は・・・とか経済は・・・とかって思っていた人 には絶好の入門書というか、きっかけ本というか、いい出会いを提供してくれる本だと思います。

おすすめ度は95/100です。バリおすすめです。(金融に興味がない人限定に対して)

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2009年4月18日 (土)

会社に人生を預けるな~リスク・リテラシーを磨く

今回は「お金は銀行に預けるな」の続編とも言われる「会社に人生を預けるな」という書籍を自分なりの解釈と共に紹介したいと思います。

私個人的な判断で、「お金は~」のほうはまだ読んでいません。なぜかというと、「会社に~」のほうに、リスクということがしっかりと理解されていないとい うようなことが書いてあったので、そのリスクリテラシーやらを学んでからお金について考えたほうがいいのかなと思いました。

この「会社に~」の内容としては非常に刺激的でした。リスクという物について私の中でパラダイムシフトが起こったといっていいと思います。リスクをうまく コントロールするということは確かに私の生活を振り返ってみても不十分というか、リスクについてのとらえかたが違っていました。

でもまだ肝心だと思われる第4章を読んでいないので。。。なんともいえませんが。この書籍から得られたものは本当にリスクリテラシーの基本だと思います。それも日常生活にも幅広くカバーされている。

私は投資をしようと考えていたのですが、その考え方もしっかりと考え直させられました。やはりリターンだけを予想して投資を始めようとしていた自分にとってこの書籍は非常に役に立ったとおもっています。

いつかの勝間さんの投資セミナーに行ったときに今でも覚えているのが「コントロールできるものはリスクだけ」ということの説明をしっかりと分かりやすく、日本の社会ということを重ね合わせて説いているのがこの本だと思います。

というのが私の簡単な書評になると思います。

ここからはちょっと趣向を変えて、私の勝手な考察です。

この本を読んで日本企業の効率の悪さというのを改めて実感しました。そんな、お堅い日本企業と体制がこのまま続くことによる弊害と日本経済の将来を、私の個人的な考察という形で書いていきたいと思います

筆者は日本のリスクに対する鈍感さを痛烈に批判しているように見えます。それは表題にある会社だけでなく、お上に対してもです。で、一社会人の私から言わ せてみると、筆者の言う終身雇用制からの脱却からなるリスクの正常なとり方というのは、現在の状況を見る限り不可能に近いと思いました。

別にあきらめる気はさらさらありませんが、この書籍を読んでいる限り、日本国内にそのような波が少しずつ押し寄せてはいるのですが、まだ旧体制というの は根強く残っており、団塊の世代が退職し、さらにその僕たちが退職し、10年以上もしくはそれ以上かかることがあるのではないかと思います。

長い期間を経ても、実際問題としてリスクリテラシーを鈍らせる終身雇用制がなくなるという可能性は低いと思います。それは「官僚養成学校(東大)」があり、そこから輩出される世襲を機軸とした政治がある限り、この終身雇用態勢からくる効率性の悪さというのは崩れることはないと思います。

そうなると、現在の若人たち、とくに知識がある輩は国内企業にとどまる可能性が低いのではないかと思います。そうすると有能な人材の流失。そうなると日本は抜け殻のようになってしまい、今後成長が望めない国として認識される。

そうなると、日経平均が2000円台~3000円台になる可能性があるという説もまんざら否定できないと思いました。もちろんそれだけの理由で株価が暴落するかは分かりません。

筆者が言うように国内にも終身雇用制度から脱却を考えている企業があるといっています。そしてそれを実行している企業もあります。しかしです。そこから芽が出ていても、潰されてしまう可能性のほうが高いのではないかと思います。

結局日本の態勢自体が、そして世論の大半が終身雇用制万歳という悪循環の方向に向いているので、世間体も気にする日本人というのはさらに追い込まれると思います。

で何が言いたいかというと、私の結論としては年功序列ではなく、しっかりとしたインセンティブをもらい、終身雇用の非効率性から脱却するためにがんばろう としても日本の制度自体がそれを阻害する。そうなると、希望を持っている若者は、若者に限らずとも国外へと正当な場を求めに行く。そうなるとグローバリ ゼーションについていけなくなり、、優秀な人材が流失するという事実に直面し、日本経済が衰退する。どうしようもなくなった政府は、企業、労働者 に対してなんらかの規制緩和などを促す。そうしてようやく、効率のいい企業や労働が始まる。しかし政府が気づいたときにはもう日本の経済は世界からおいて いかれている。というのが私の考察です。

おいていかれる前に気づかないと、将来日本人はオフィスの掃除とか、一般職的な業務とか、そんな仕事しか回ってこなくなるような気がします。まーだからこそ、人生は会社に預けるものではないということが容易に分かると思います。

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2009年3月11日 (水)

道は開ける FINAL PART

どんどん紹介していきたいと思います。

「低俗な人々は偉人の欠点や愚考に非常な喜びを感じる」

そういうことになると、世の中にはかなり多くの低俗な人口があふれているような気がするのは自分だけでしょうか。でもだからといってそのような低俗な人たちを非難していたらなんら低俗な人たちと変わりありません。この本のこの章がいわんとしていることは次のとおりで、

「不当な非難は、しばしば偽装された賛辞であるということを忘れてはならない」

ということに尽きると思う。誰もが他人の成功を非難したことがあると思う。嫉妬からくる非難などいろいろなものがあったと思う。でもそれはやっぱり「低俗な人々は偉人の欠点や愚考に非常な喜びを感じる」ということであると思う。

次はリラックスの方法を。

『休め、休め。緊張をほぐせ。しかめつらはやめろ。休め、休め。』

これを実際にやってみると驚くほど、自分の筋肉が緊張していたことに気づきます。とにかくやってみなければわからないということで、試したのですがこれが効果抜群。びっくりしています。寝る前にこのリラックス方法を昨晩試したのですが、いつの間にか熟睡していました。そして今朝の目覚めは抜群に良かったです。疲れがとれてぱっと目が覚めたのです。7時前に。

「一日に4,5回は自分を点検してみること。『私は実際以上に余計な労働をしてはいないだろうか?私はこの仕事と関係のない筋肉を使っていないだろうか』と自問するのだ」

確かに自分の生活を見直してみるとなんと無駄な行動が多いことでしょう、自分でもアホなんじゃないかというくらい多いです。本当にムダな行動。ただのアホです。w それをなおすことで「くつろぐ習慣を身に着けるのに役立つに違いない」とあります。もう実践あるのみです。

「明日の重みに昨日の重みを加えて、それを今日背負おうとしたら、どんな強い人間でもまいってしまう」

”そんなんあたりまえじゃーん!!”と笑うかもしれません。でもそれができていない人々が非常に多いのでしょう。そうでなければ何度もいうようにこんな本がベストセラーになること自体怪奇現象です。

本書では皿洗いの経験談が書いてありましたが、このことはとことん応用できると思います。ちょっと考えてみると、通勤時の満員電車について。満員電車が好 きな人は痴漢くらいしかいないと思います。ということでほとんどの人が満員電車に悩んでいると思います。

今までずーっと満員電車で通勤(通学)してきた。 これからもずっとこの満員電車で通勤しなくてはならない。40年間同じとこまで30分間往復満員電車通勤と考えると、9600時間満員電車の中で過ごすこ とになります。さまざまな要因を考慮して1000時間引くとすると、8600時間。日数で計算すると358日、つまり約1年です。

思ったより非常に多い時間を満員電車の中ですごすのですね・・・w それはおいといて、そんなこと考えたらやってられません。これからの40年間で1年間は満員電車の中で過ごすんだ・・・そんなことを考えていたら仕事も手につきません。

”別に満員電車の一つくらい悩みがあっても普通でしょ!”と言うかもしれません。しかし本当に悩みはそれだけでしょうか?家族の中での悩み、仕事上での悩 み、近隣での悩み、交友関係での悩み、金銭的な悩み、数え上げたらきりがありません。そんな悩みが重なると雪だるま式に悩みが膨れ上がり、自分が潰されて しまいます。

どんなすばらしい人でもそれは無理です。無理なことをするのは無理なのです。それなのにそれをしようとするから体を壊したりする。そうならないためにどうすればいいか。それはもうすでに書きましたね。簡単なことです。

では最後に悲惨になる秘訣をみなさんに。

「悲惨になる秘訣は、自分か幸福なのか不幸なのかと思い悩む暇を持つことである」

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道は開けるPART5

今回がラストになります「道は開ける」シリーズ。全部で5回でした。と思ったらこのPART5は「宗教とは~自分が考える宗教の定義~」というようなものになってしまいました。宗教に対しての自分なりの新しい見解をまとめました。自分の中で宗教に対するパラダイムがシフトしました、というようなことを書いています。ではさっそくStandingbuddha

「真に宗教心の深い人間は神経症には冒されない」

これは驚きました。私自身は日本人というあまり宗教に疎い人種(私がそう思っているだけかもしれませんが)として生まれてきました。少なくとも私の家庭ではあまり宗教心は強くありません。宗教というとあまりいいイメージを思い浮かべません。なんせ日本には大きな事件もあったのですから、それが純粋な宗教への冒涜というか、悪いイメージの刷り込みに一役買ったといっても言い過ぎではないと思います。

その出来事とは「オウム真理教」がらみの事件などです。現在もアレフと名前を変えて実在する宗教団体でもあります。では私が持っている宗教へ対してのステレオタイプとは何か。

1.法外なお金を巻き上げられる
2.信者は狂っている
3.人殺しを平気でする
4.頭がいい人がそろっている
5.洗脳されている
6.本当に空が飛べるとか信じている

とまあ「負」のイメージしか出てきません。これはちょっと客観的に見てみると、メディアがオウム事件のニュースで流していたものそのものに過ぎないということが分かります。勝手に自分の中で「宗教=オウム」という方程式ができあがっていたのです。そうなることで宗教を全面的に否定的な態度で見てきたことになると思います。オウムの地下鉄サリン事件は1995年のことなので、現在の2009年にわたる約13年間のあいだ私は宗教のことを否定的に見てきたことになります。

実際にこの本を読んでいてもはじめは「宗教なんて・・・」という考え方はなかなか頭から離れませんでした。しかし宗教に救われたあまりにも多くの人の証言や実際の体験を目の当たりにして私の常識がくつがえされました。しっかりと客観的に見てみるとしっかりと宗教というものが見えてくるものです。私の尊敬するガンジーも信仰心はすこぶるつよかったと彼の自伝に書いてあります。そしてこの本にも引用されています。

『祈りがなかったら、私はとっくの昔に気が狂っていたであろう』

それから私の友人の父親も創価学会に入っているのですが、いわゆるこれも宗教です。その友人の親父さんは人口の5%といわれる高年収の層に入っています。その親父さんが宗教のおかげでそうなったかはさだかではありませんが、世の中には宗教というものを深く信仰することで幸せになっている人を多く見かけるように思います。そんな宗教に対してプラスの考えが見られる、300年以上前のフランシス・ベーコンの言葉を見てみるとする。

「浅薄な哲学は人の心を無神論に傾け、深遠な哲学は人の心を宗教へ導く」

これもすごい言葉である。全面から宗教を肯定し、むしろ崇拝している。では一体宗教とは何なのか?広辞苑によると―神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する進行・行事、またそれらの関連的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教、特定の民族が信仰する民族宗教、世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教など、多種多様。多くは教祖・教義・典礼などを何らかの形で持つ―とあります。

なんともかたっくるしい表現でなんと理解のしにくいものでありましょうかねw。広辞苑を見ても宗教の本質が見えてこないので、この本からちょっと自分なりに宗教とは何なのかというのを理解しようと思います。

私の以前の考え方では「宗教とはなんと依存的な考え方なのだろうか」というイメージでした。しかし、人間一人で生活するとどうしようもない状況に陥ることがあります。私はまだそこまでの大きなターニングポイントというか点を通過していないのですが、もし自分ひとりの力では這い上がれないくらいの闇に閉ざされてしまったらと考えると、神という力は非常に私たちの精神を平静に保つのに一役かると思いました。そのような体験というのは今、本を読んでみると良く分かります。

ありえない状況、もう死ぬしか選択肢がないような状況に陥ったとき、深い信仰心を持っている人はそんな瀬戸際の状況で一筋の光を「神」という存在の助けを借りて見つけることができます。決してこれは神に依存しているのではなく、自分ひとりではなく「神」がいるということによって安心感がうまれてくるというのでしょうか、なんとも表現しがたいのですがそんなことだと思います。

世界にはさまざまな宗教があります。主なものが広辞苑に載っていた世界宗教。世界を見渡すと宗教にすがっている人が実に多いことが分かります。

こんなことを言ってしまってはそれぞれの信仰者から大批判を浴びると思いますが、ちょっと自分なりに考えた宗教の意義というのを述べたいと思います。

宗教とはさまざまな種類があるが、元をたどると一つの原点にたどり着く。それは人々を救うこと。その歴史は紀元前にさかのぼり、人生の「普遍の事実」をしった各地の人々がそれを宗教という一つの形として創造した。その「普遍の事実」とはどれだけ長い年月がたったとしても変わることがなく、文字通り「普遍の事実」なのである。

その考え方は現代の世界にも深く根付いている。それは形を変えて自己啓発という形で書籍として出版されている。特にこれは宗教という雰囲気はぜんぜん感じることができないが、自己啓発というのは元をたどると宗教の教義にたどり着くような「普遍の事実」を人々に教えているように思います。

その「普遍の事実」にそって人生を送ることによって、人々は幸せになれる。そんなことを宗教の開祖は何千年も前から知っていた。その「普遍の事実」について、紳士に受け止めしっかりと実行した人々は、しばしばそれを奇跡のように感じる。そうなるとその「普遍の事実」について非常に大きなパワーを感じ開祖を神のように崇めるようになる。

これはきわめて普通の流れであり、何もおかしいことはない。私には宗教とは(悪い面を除くと)非常に当たり前のことを、当たり前にやることで幸せをつかませてくれるもので、ときにはどん底に陥ったときに一筋の光を見せてくれる、そんなものではないかと思う。開祖は神として崇められ、「普遍の事実」は教義となり、それを信じる人たちを信者という、そんなようになったのが宗教ではないかと思います。

ちょっと長めのまとめでしたが、これが今回自分が認識した宗教に対しての考え方です。

今度はगौतम सिद्धार्थ(釈迦) の本でも読んでみようと思います。トップにある写真はगौतम सिद्धार्थのイメージですが、なにせウィキピディアから引っ張ってきたので本物かどうかはちょっと怪しいです。

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2009年3月10日 (火)

道は開けるPART4

引き続き記憶に残るフレーズを紹介していきたいと思います。紹介するというか、これは自分で書くことにより再確認するという意味合いが強いのですがね。さっそくどんなものがあったか見てみましょう。

「私が今日これから会おうとしているのは、おしゃべりで、利己的で自己中心的で、恩知らずの人間どもだ。だから私は別に驚きもせず、困ってもいない。そんな連中のいない世界など想像できないのだから」

そう考えると「そんな連中」に会っても別に普通のようにふるまうことができるのではないかなと思いました。今日も私がちょっと一人で外食をしていて、その前に座っている女性2人組が笑顔一つ見せずに夕食をしていました。上司の悪口のようです。飯がまずくなるのであまり深くまでぬすみぎぎするつもりはなかったのでそのまま音楽を聴きながら飯を食いました。

そんな人たちに思ったことが一つ。おいしくご飯を食べられているのか?そんなことを気にしている暇がないくらいな生活を送りたいですね~

「感謝しないほうが、雑草のように自然なのだ。感謝とはいわばバラの花のようなもので、肥料や水をほどこし、はぐぐみ、愛し、保護してやらねばならない」

本文ではこれを恩知らずの子どもたちということで書いているが、親が子供をバラのように育てなかったら恩知らずの子供が育ってもなんら不思議はないのであるといっている。ごもっともである。これは日本の親だけでなく、世界中の親が知ること、そして実行することが必要不可欠である。100%とはいかないまでも、今よりも割合が増えればよりよい世の中になるだろう。間違いなく。

へんてこな犯罪も元をたどれば絶対にその教育をした両親にたどりつく。子供に愛を教えるのは学校じゃない。学校は教育するところ。それを家庭の愛の教え方が悪いのに、学校のせいにされては教師もたまったものではありません。まったく学校の意味からしっかりと学びなおしたほうがいいのではないでしょうか。

いつぞやのテレビで坂東00さんが力説していたように、「親が子供に倫理などを教えるのです」ということは本当に当たり前の話です。他に誰がいるでしょうか。わが子を薔薇のように育てられない人は、子供を産む権利がないと等しいと思います。その子が起こした犯罪は、親の責任になってもなんら不思議はないくらいです。子供を産むということにそれだけ責任をもって生んでいる方がどれだけいるのか疑問です。

「初めて胸の奥に落ち、根を下ろしました」

この表現は本当にしっくりきます。何を言われても聞く耳を持とうとはしなかった私自身があることをきっかけに周りのすべての相手を先生とみなすようになった。きっかけは一冊の本だったのですが、その時の気持ちを表現するとまさにこの言葉がぴったりです。

なぜ、どのように、私自身がこうなったのか分かりません。もしかしたら一生人の意見を受け入れない人生を送っても不思議ではなかった自分がなぜ本1冊で変わることができたのか。いまだに謎に包まれています。というのも言葉で言ってすぐ受け入れる人がたくさんいれば、世界にこんな本が売れるわけがありません。

「だれでも教育を受けている過程で嫉妬は無知であり、模倣は自殺行為にほかならない・・・自分に何ができるかを知っている人間は自分以外にいないが、自分でさえ試みるまではわからない」

模倣をしないで自分流のスタイルを確立しろというのが、この言葉の意味することではありますが、ちょっと反論したくなるようなとこもあります。模倣してそれなりの地位までのぼっていったひとというのも耳にしたことがあります。

そう考えると模倣が自殺行為というのに少し疑問を持ちます。模倣をしてもいいが完璧なコピーだとダメということなのでしょうかね。模倣をしながら自分の形を模索していくということなのでしょうか?

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2009年3月 5日 (木)

道は開けるPART3

この本を最近読みながら、気になるフレーズに付箋をはっつけているのですが、それが毎回読む度にすごいことになります。付箋だらけです。それだけ自分の中に響くフレーズがあるのだなと。そんな付箋をはっつけたとこからちょっこそ引用しつつ、自分の考えと経験を交えつつ。

「伯母は、恨みと苦しい思い出を心に抱いたおかげで、ずいぶん高価な代償を払った。なにしろ心の平和という代償を払ったのだ」

という著者の伯母の話。こんなに高くつく代償がほかにあるでしょうか?金で解決することはできず、唯一鍵となりえるものは自分自身。著者も言っているが、 こんな人にその恨みと苦しみから抜け出すように促しても当然馬の耳に念仏である。それは火を見るより明らかであるが、実際に難しいことはやはりその人に自 分自身が払っている代償の大きさを知ってもらうことにあると思う。

本書ではそのことまで述べていない。実際に他人の心を変えるということは、自分の心を変えるくらい難しいのかもしれない。なにかきっかけが必要で、それが 鍵となり難く閉ざされたドアを開けることが可能になると思うのですが。その鍵を見つけるのに苦労しているひと、鍵の存在を知らない人、鍵を見つけようとも しない人、さまざまな種類の人間がいると思います。当然自分の意見では、鍵を見つけてドアを開けたとこからの人生がやっと始まりだと思っています。

「過去を建設的なものにする方法は、天下ひろしといえども、ただ一つしかない。過去の失敗を冷静に分析して何かの足しにする―あとは忘れ去ることだ。」

この一つしかない過去への答えに、何人の人がほかの答えを選ぼうとしているか計り知れない。ちょっと自分の周りの人を客観的に見渡してみると、そんな簡単なことをできない人がわんさかいることに気づくのではないか。著者の伯母もその中の一人であると思われる。

過去への答えはこの一つしかない。ほかの答えを導き出そうとしても、それは建設的なことといえるものでは決してないはずである。むしろこの答え以外で答え を見つけることができたら、ノーベル賞にでももらえるのではないかというくらいである。ノーベル賞を受賞するよりはるかに難しいかもしれない。

「賢い人たちは座ったまま損害を嘆いたりはしない。元気よく損害を償う方策を探すのだ」 by シェークスピア

これは一見当たり前のようで、昔から口をすっぱくして言われてきたことのように思える。しかしそれを行動に移すことのできる人はわずかであるように思え る。本書で取り上げられているのは、片足を失ったとか、両足を失った人、大きな大会で負けた人、などが取り上げられているがみなそれを糧として以前より成 熟した位置にいる。

何か損害があったときにそこから前に進むには、このシェークスピアの言葉が一番の薬になる。どんな慰めの言葉より、人生の糧になる。損害にはさまざまな種 類があるわけであるが、両足を失ったとかそのような考えたくもないことを経験した人たちでさえ、それをばねにさらに良い方向へと進むことができたのだか ら、健常者である私たちはそれこそ向かうところ敵なしなわけである。・・・のはずだが・・・

「幸福に酔いしれているようにふるまいながら、同時に浮かぬかを出沈み込んでいるということは肉体的に不可能だということだ!」

これはかなり自分に説得力を持たせる言葉あったと感じる。笑っていれば自然と笑えるようなことがあなたの周りに起こってくるんだよ。といって人に伝えても 「ふーん」という返事しか返ってこない。そのあと笑っている人は0.001%くらいではないか。自分の言い方が悪いのかもしれないが、なかなかそれだけで は説得力に欠けると思う。

そこでこの一フレーズ。少しぐらいは分かっていただけるのではないでしょうかね。

「心臓が弱っているときは、怒りを爆発させたとたんに死ぬこともありうる」

これを聞いて三毒追放を思い立つ人が何人いるのか。簡単に言うなら「怒る=死ぬ」という方程式が成り立つということになる。こんな死に方は最悪であろう。 本書に出ているのが「ピストルを持ったままコックを追いかけてそのまま死んでしまった。検死官は立腹による心臓麻痺と断定した。」

なんとも滑稽な話に見えるが、大真面目な話である。自分の周りにはこんな人はいないが、これは実際に起こったことであり、怒ることをやめるきっかけになる。皆さんがそのように思ってくれることを願います。当然怒ることが必要なときを除いてですがね。

ちょっと長くなってしまったので、最後のぐっとくるフレーズを。

「どんな人の力をもってしても私に屈辱感を与え、憎悪を植えつけることはできない」

こんな人が世界中にあふれんことを。それにはまず自分がそうならなければいけませんね。

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2009年3月 4日 (水)

道は開けるPART2

PART2は2つのことについて自分が応用できることを書きたいと思います。

まず一つ目に一番上手に表現しているものを紹介すると、

「人間はあまり忙しくないと、心が真空に近い状態になりやすい」

というものがある。

これは自分の私生活を振り返ってみても同様のことが言えることに驚いた。例えば翌日に控えたテストがあり、どうもそわそわする。明日のテストのことばかり 考えてしまって、食事もいつものようにのどを通らない。つまり心に真空の状態が作り出されている状況です。真空の心の中に、不安、悩み、などが入り込んで きたのです。そのようにならないために、真空の心を作らないためには自分を忙しくする必要がある。そうすることによって不安や悩みは入り込む余地がなくな るということです。

ちょうどこの本のこの部分を読んでいるときに、就活生から連絡が入りこんなようなことをいっていました。「足を止めたら病みそうなので、とにかくやれるだ けやってみます」忙しくすることで、自分の将来という悩みに対する薬を自分自身で作り出している様子でした。それはけっして将来を蔑ろにしているわけでな く、むしろ将来に対して真正面から誠実に向き合っている証拠であると思います。

もうひとつは、

「人生は短すぎる。小事にこだわってはいられない」

人はしばしば、くだらないことがきっかけで悩んだりけんかしたりすることがある。私たちの人生は短いので、そんなことにこだわってはいられないというのが このメッセージである。自分もこの本を読む以前に、自分が悩んでいることがどれだけちっぽけなことか考えたことがある。自分の悩みを少し客観的に見てみる ことで、どれだけその悩みがちっぽけなことか確認できるのである。

例えば電車で読書をしているときに、となりでビンボウゆすりをしている人がいる。自分はそれがどうにも気になって読書に集中できない。ときとして、人間はそんなちっぽけなことまで気にかけて、自分の時間を無駄にしてしまう。なんてもったいないことであろうか。

さらにもうひとつ、

「私たちにはおどろくほど強靭な潜在能力が備わっており、それは私たちが用いさえすれば、私たちを助けてくれるものなのだ。私たちは想像以上に強靭なのである」

これは、私たち人間はどんな状況下にあったとしても、それを直視し避けないように生きるすべを持っているということである。どんな状況下というのは、もち ろん最悪な事態もその中に入る。本書で紹介されているのは、盲目、息子の死、両足の切断、などがそうである。どうしようもない事実から逃れようとすれば当 然そこからは、いろいろな負が芽を出してくる。

『柳のように曲がれ、樫のように抵抗するな』という言葉もこのことを如実に表現しているものではないかと思う。自然の摂理に逆らって折れるか、それともそれを受け入れて垂れるか。どちらかである。

すばらしい英知を授けてくれる本書の続編はまだまだ続きそうです。

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2009年2月25日 (水)

道は開ける「PART1」

ちょっと人生最大にへこんでいる今日この頃。さっと手を伸ばした本がこれでよかったと思いました。なんだか自分は本と出合うときいつも偶然に最高のタイミングで遭遇します。そんな先人たちに感謝感謝。

PART1を読んでいてこれは自分のなかで「響いた」という言葉を少し紹介したいと思います。

「私たちは秒速30キロで空間を走っている。『今日』は私たちにとってかけがいのない所有物である。私たちにとって、唯一の確実な所有物なのだ。」

うわーと思いました。背筋がぞくぞくっというかなんというか、「これだ!!」っていう感じがしました。現在の自分の状況で何かヒントになるものがないかと 探しながら読んでいたのですが、まさにこれが自分のほしがっていたものです。なんとなく文章自体もかっこいいし。「空間を走っている」なんてね~かっこい いじゃないですか。(秒速30秒というのはどう計算したかはちょっと気になるところですが)

このPART1のいいたいことというか、この分から伝わってくるのはとにかく「今日」の大事さということです。これはこの前後の文などに書いてあるのですが、ほかの文章より自分が一番しっくりくるものを抜粋してみました。

実際まだ自分には実感というか体験していないのではっきりとは言えませんが、とにもかくにも一番重要されるべきは「今日」ということです。未来ではなく、 過去ではなく、今現在あなたが生きているその瞬間瞬間の今、そして今日。あなたが生きているのは未来でもなく過去でもない。今日である。だから今日を精一 杯生きるのである。すると人は困難にぶつかり悩んだときに、しっかりと地に足をつけて前に進むことが可能になる。つまり「道が開ける」ということですわ。

「人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の連続の中にある」

まさしくそのとおりです。

「賢者には毎日が新しい人生である」

そんな人生だったら楽しいに違いありません。だったら実践するしかありません。

「朝起きるときには『今日を捕まえよう』」

未来でもなく過去でもなく、今日と向き合う。捕まえるのは今日だけだ。

「過去の出来事―すでに決着のついたことがら―を後悔するあまり、現在をも傷つけてはいないだろうか?」

まさにそれがここ2,3日に自分でした。もったいない。今日に集中すると、現在を傷つけなくてすむ。

というような抜粋の文章をいくつか。やっぱりこれは今の私に読まれるべくして読まれたような感じがします。今の私に。「今日一日の区切りで生きる」ことを さっきすでに始めました。これを読んでいた電車の中で。読んで1秒後に。だって秒速30キロで時間を走っているとしたら、もったいなくて「今日」に申し訳な い。しっかりと使うべきですね。

もう一度、

「今日一日の区切りで生きる」

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2009年2月13日 (金)

信頼貯蓄

つい先日自分の人生のバイブルでもある「7つの習慣」を久しぶりに手にとって少し読み返してみました。そんな中ちょっと目に入ったのがこの「信頼貯蓄」というものです。

あなたは信頼貯蓄をどれだけ貯めていますが?もしくは貯まっていますか?まーどれだけといわれてもしっかりと信頼貯蓄を計るものが存在しないので基本的には不可能です。

当然のことながらその貯蓄高が多いほうがいいに決まっています。そして貯蓄高が多い人同士がくっつくと、非常によい関係を作る基礎があるということになる。そんなことが本に書いてあったと思います。

信頼というのはさまざまなところで見受けられます。お金を貸すとき、子供を預けるとき、秘密を言ったとき、家を作るとき、仕事をするとき、飛行機に乗ると き、もう信頼が世界中のあちこちにはびこっています。そんな信頼で成り立っているようなこの世界。信頼残高が多いほうがいいに決まってます。

そんな信頼貯蓄は簡単に残高がゼロになります。へたすると信頼負債となってもう元通りにならないくらいのダメージを受ける可能性が十分にあります。でも自分の言動や行動ひとつでしっかりと信頼貯蓄を貯めていくことが可能です。

こつこつと信頼貯蓄を貯めていきたいですね。そして信頼貯蓄をたくさん持っている人たちと付き合っていきたいものです。

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2009年1月21日 (水)

日本という個人投資家を潰す国

日本はどれだけ個人投資をしない国なのかというのを最近ひしひしと感じてきます。これにはさまざまな論争があると思いますが、とりあえず自分が感じたことをちょっとばかし書いてみようと思います。
日本は個人投資家が少ないなと思った理由を4つほどあげてみようと思います。

理由その①
世界の資産家ランキングで日本人がランクインしているのを見たことがない。
ForbesのThe World's Billionairesというランキングを見てみればそれは一目瞭然。火を見るより明らかです。(link:http://www.forbes.com/lists/2008/10/billionaires08_The-Worlds-Billionaires_Rank.html)
なんとびっくり124位にやっと日本人が出てきます。w

理由その②

個人投資家を保護する制度がアメリカに比べると非常に脆弱である
アメリカでは個人単位で投資をしていたときに、企業が破綻するとなんらかの保護が発動する。しかし、日本にはそういった個人投資家の背中を押す制度はない。それゆえリスクを伴うため個人単位で投資をすることに違和感と抵抗を感じる。

理由その③
日本の巨額な貯蓄額。
日本人はお金を貯めます。貯金するのが大好きです。それは高度成長期に預金し金利が非常によかったので預けているだけで金が自動的に増えていくというシステムがあったからというのがひとつの原因ともいえるのではないでしょうか。国民が銀行に貯金する、個人は何もしない、銀行が投資する、預金者に配当金のような形でお金がくる(金利)。そんな良き金利の時代を知っている世代は、銀行にお金を預け入れる意味をあまり感じないのではないでしょうか?そうなると、お金が手付かずのまま貯蓄という形で残るだけです。お金の流れが悪くなりますそうなると結局のところ日本経済に少なからず影響があります。

理由その④
投資という活動への偏見。
私の周りで「株」ということを聞いたら反射的に「ギャンブル」=「悪」というイメージになる人が実に多いことに気づきます。日本人の感覚では「株」<「貯蓄」という不等式が常識のようです。(私の周りだけかもしれませんがね)なぜ自分がやったこともないのにはじめから「悪」と決め付けるのでしょうか?株をやっていた人が大損をしたのを耳にしたからでしょうか?Forbesのランキングを見るとわかるようにどれだけ人々が自分自身で巨額のお金を手にしてきたかわかります。その中には天然資源を利用して石油王みたいなのもいます。日本に大量の天然資源が埋まっていたらその可能性もあるかもしれませんが、いまだにそんな人が現れる兆しもないしこの先も皆無に近いでしょう。ではなぜ「株」に限らず、自分のお金を自分の意思で動かすことに違和感を覚えるのでしょうか?なぜパチンコ、競馬、宝くじ、etc etcなどに注力しているのでしょうか?
これで本当に自由経済の下、世界を代表する先進国と言えるのでしょうか?

とまあ4つあげたのですが、実際のところ自分が投資活動をしていないので大それたこと言える立場にあるわけではないのですが、個人的に準備はしています。この前読んだ本のとおりに貯蓄してLet da Money WorKというようにしていきます。投資をしている友人が言っていたのですが、投資もスポーツと一緒でまずやってみなきゃわからない。そんなもののようです。知識を付けるだけでなく、まずやってみる。そんな行動が試される投資にどんどん惹かれていきます。それを行動に移すか移さないかは自分しだい。

そんな個人投資家にとって不利な国だからこそそこから現れる逸材が必要なんでしょうね。im gon be a fuckin da man who is gon be a breakthrough of this fucked up society and economy.

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2009年1月 6日 (火)

続・バビロンの大金持ち

続・Richest Man in Babylon

まだこの本を読んでるのですが、ちょっと最近疑問に思います。

この本は確かに古くからの物語形式になっていて面白いといったら面白いのですが・・・腑に落ちない点がいくつか。

まず、これは古代の話であって、現代とはまったく話は違うという点です。この本が言っているのは「お金をためて、金に金を稼がせろ」ということに尽きるの かどうか知りませんが、とにかくそのような例ばっかり出てきます。そしてその例というのが現実の世界からかけ離れていて、ちょっとうまくいきすぎではない かと思うくらいです。

古代だったら、そのような投資やら何やらは簡単にいくのではないかと思います。しかし、現代の投資を見てみると、なんと複雑化していることでしょうか。。 これもまた一朝一夕でできるようなものではありません。それから金が金を呼ぶというようなことも書いてありましたが、実際、株やら何やらで稼いでいる人と いうのは損も出すし、利益も出す。本書が言うように投資でがっぽり稼いで大金持ちになるようなことはそう簡単にはいかないように思えます。

もし投資で大金持ちになれるのであれば、投資銀行なんかはもうこの世の金を牛耳っているのではないでしょうか?ん~~~でも「行動を移す人に幸福の女神は微笑む」というのには賛同です。間違いないです。行動を移さない人には何も微笑みません。ごもっともです。

ということで、まだいくつかあるのですが、それはまた今度の機会にでも。
確かに自分の収入はそこまでよくありません。そして私の家庭もそうです。ということで何もやらないよりかはやったほうがましということで、この投資というのをやってみようと思います。確かに私の家庭では投資をして金に金を稼がせる習慣はゼロです。ですので、元々株やら為替やら債権やら興味があったのでやる。やります。

昨日1月5日の日経新聞の朝刊に、新年の投資説明会なるものがあると書いてあったので早速応募でもして説明会に参加してこようと思います。卒論が終わったら。。。ですがね。へへ。それから簿記も。

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2008年12月29日 (月)

Richest Man in Babylon

Richest Man in Babylon
という本を現在読んでいます。

最近は卒論ばっかりで、少し飽きてしまったのでちょっと違う本でも読もうと前からおいてあった本がこれでした。

ずっと前から、お金を稼ぐ方法は変わっていない。古代のバビロンの時代からそれは同じであった。。。的な本です。

その中のはじめの章に書いてあったのが、「お金をためろ」そして「お金に金を稼がせろ」ということです。お金を自分の奴隷にすることで、お金が稼げるシステムを構築する。そうすることによってお金がお金を稼いでくれる。

確かにそれも一理あります。実際自分もこの本に書いてあった人と同じで、稼いだものを空っぽになるまで使ってしまう、もしくは空っぽにならないまでも毎月同じ額が残っていていっこうに金がたまっていかない。金がたまってないと、金に働かせることは当然できません。

この本に書いてあることは収入の10%をとっておけというのです。そのためたお金をつかい、さらにお金を増やすのです。

本に書いてあることをすぐに実践するから本を買った価値が出てくる。もしくはその本以上の、もしかしたら何倍もの見返りがかえってくる可能性があります。そんなことを考えながら、アルバイトの収入から、10%はためてそれを何に使うか考えてみようかなと思います。

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2008年11月24日 (月)

Responsibility

巷で話題の「史上最強の人生戦略マニュアル」を読んでいます。

その中から、責任いついてのことが印象に残っているので書きたいと思います。

しっかりと自分の生活を見直してみると、なんと責任感のない行動と考え方をしてきたのかということを感じました。小さいころはそのような思考が発達してい ないからしかたがない。しかし大人になった今、しっかりと自分自身が自らの人生をコントロールすることが可能な年代まで来ている今、最も基本的なことは責任感を持つことであるように、この本を読んで思いました。

その責任というのはなにも仕事だけに限らず、人生すべてに普く当てはまります。学生生活、アルバイト、友達との交友関係、とりあえず例を上げたらきりがあ りません。むしろ人生は責任という土台にのっかている。そしてその土台がはっきりとしていないと、人生をコントロールできずいつまでたってもさまよってし まうようです。

「あなたが影響力を及ぼし、コントロールをする必要があるいちばんの相手はあなただ」
ということばが本書の中にあります。家族とは非常に長い時間一緒にす ごしている、友達とも長い時間を共にすごしている、しかし一番長く自分が接しているのは他でもない自分自身です。自分自身と折り合いがつけられないでどう して自分以外の人と折り合いがつけられるでしょうか?そんな虫のいい話はありません。

責任というものは基本的にというか、責任の真実は「自分自身で責任をとる」ということに尽きます。では、責任転嫁という言葉があります。それはどうでしょうか?物事を他人のせいにする。それは果たしていいのか。この本がしっかりと答えてくれました。

「責任を転嫁すると勝者になるための努力が水の泡になる・・・・・・真実を直視しよう。責任を押し付けた相手が誰であれ」

ちょっと今日読んだその「責任」について、アンテナをはって生活してみました。するともう責任回避のオンパレードです。責任転嫁フェスティバルです。 ちょっと感情が高ぶって怒りそうになると、そこには責任転嫁が起こっています。自分の責任にもかかわらず・・・それを直視するだけで、ずいぶん精神が落ち 着きます。責任という真実と素直に向き合うことにより、先に進めるようになります。

責任という人生においての鍵をもっとしっかりと形作っていきたいです。

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2008年11月22日 (土)

日商簿記のきっかけ

今、日商簿記の資格を取ろうと励んでいます。

結局2ヶ月くらい前に買ったテキスト。それがそのまま机の本棚に放置されていました。やろうと思って結局やっていないこと。いろんな言い訳をつけて後回しにして、最終的には一生手をつけないのではないかとすら思う。

本に日商簿記はとっておいたほうが、日常生活に何かとためになると書いてありました。

テキストは買ったが、詰めが甘かったです。受験の日にちも決めずにだらだらと本をめくる。しかしなかなか続かない。頭に残らない。それもそのはず、ゴールがないマラソンをしていたのだから頭の中には疑問がいっぱいになる。

そのうちほかの事に気をとられて、テキストにすら手をつけなくなる。そして月日は流れます。あっという間に。気付いたときにはもう遅いです。

ほおって置くと一生やらないと思います。ほおって置くやつは、一生ほおって置かれます。

何かテコがないと、動かない場合がほとんどかもしれません。今回も、日商簿記を受験するようになったのは友人と競争するためです。罰ゲーム付で。

受身でやるわけではありません。もともと自分には簿記をとる目標があるからです。目標をかなえるためには、辛いこと、難しいことも厭わないです。今回はたまたま友人が勝負を仕掛けてくれたから、自分に火がつきました。

しかし、この出来事がなかったらと考えると・・・

そんなことがないように、繰り返さないように、行動できる人になろうと思います。そんなに難しいことではないはずです。普通のことなはずです。

でもあまりにもできる人が少なすぎる。

自分もその一人です。その中から頭ちょっと抜けるようにこれから努力をかさねる。

そんなことを決心した、11月でした。

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2008年11月19日 (水)

夢をかなえるゾウ

今日は「夢をかなえるゾウ」っていう本についてです。

めっちゃくちゃ面白いです!この本。フツーにギャグです。電車の中で読んでてくすくす笑いながら読んでしまい、周りの人にじろじろ見られました。笑

でも、率直に言うと結局同じこといってるんですよね。他の自己啓発本と。で、僕が思うに、数々の自己啓発本を読み、実行に移さない読者があまりにも多すぎ るのでどうにか重いケツをひっぱたいて動かそうというのが狙いじゃないかなと。そうするにはやっぱり本来みたいに、自己啓発スタイルではない他のやり方が よかったから「小説」という形にしたのだと思います。しかも面白い。

実際読んでみて、クソ真面目な自己啓発本よりこっちのように笑いがあったほうが印象に残るのは確かです。「100万部とっぱやで~」ってカバーに書いてあるけどこれはだれでも面白く読めるからかなとも思いました。

個人的には好きです。ガネーシャの関西人っプリがなんともいえず面白いです。フィクションな感じも結構面白くできていて笑えます。自分は友達から薦められ て読んだのですが、その通り面白かったです。でもこれをドラマにするとどうなるんだろうって正直思います。確かに視聴者に自己啓発を薦めるにはいい機会か もしれませんね。でもだれがガネーシャをやるのやら。かなり面白い人が出てこないと面白くないんじゃないかな。例えば松〇一志とか関西的にはかなりはまっ てると思うけど、ガネーシャは太ってるからね・・・

で、最近色々な自己啓発本に手を伸ばしてきているわけですが・・・ちょっと気になることが。いろんな教えを受けているわけですが、それが増えていくと整理 しにくいなとか、ちょっとごちゃごちゃになって思い出せないこともあったりします。いろんなことを教えてもらったわけですが、それを100%行動に移せているといったらYESとはいえません。だから読み返すのとかが必要になってくるのですかね。。。自分の書いてい るブログも見直しつつ、本も見直してみたいと思います。いい機会かもしれません。

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2008年11月12日 (水)

謝辞

「ガンジー自伝」を読み終えたのでコメントを。
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前回のブログにも書いたように私にとってガンジーは神のような存在の人であった。しかし、実際にガンジーの自伝を読み進めていると彼はとてつもなく普通の 人間であった。特に子供のころからずば抜けているわけでもなく、成績が優秀なわけでもない。悪さもしていた。自分と同じくらいの子供時代だったのではない かと思わせるくらい普通の少年であった、というのが私の印象である。

ではなぜ、彼が当時多くの人々の支持を得て、こんなにも偉大になったのか。それは私にとってもなぞであったが、今回本書を読んでその理由の断片が理解でき たのではないかと思う。ガンジー自身、自分が偉大であるから自伝を出すのではなく、真実の書のようにこの本を言っている。

私が理解した理由の断片というのは至極当たり前のことであった。誠実に生きる。ということである。その”誠実”という言葉の中には多くの意味が含まれてい るわけであるが、実に単純なことである。実際誠実に生きたガンジーにとって様々な事象はその”誠実”な心があって起きた事であって彼にとってなんら不思議 のないことが多いのである。

ただ、人間にとって”誠実”に生きるには障害が多すぎる。それだけだと私は思う。ガンジーはその障害に屈することなく自らの”誠実”を通していったのであ る。それは言うまでもなくいばらの道でありそう簡単に道をそれずにたゆまず歩いていけるものではない。そんな、ダイアモンドのように固いガンジーの誠実さ あったから、現代の今でもその心は色あせることなく形を変えて後世に語り継がれているのではないかと思う。

もちろんその”誠実さ”は一朝一夕でできあがる物ではない。長い年月をかけてじっくりと自分と向き合いながら、様々な誘惑という手を振り払って作っていく ものである。ガンジー自身もまだそれが完璧なものではないといっていて、終わりがないからこそ強く、そしてなにものにも変えがたいものであるといってい る。その言葉は、私たち人間の可能性は無限大であり、自分の信念次第でどっちにも転ぶことができる。そんなメッセージのように私には思える。

偉大な魂(Mahatoma)の人、ガンジーの正体は私たちとなんら代わりのない人間であった。なんら特別な力を持っているわけでもない、一人のインド出 身の男性であったと私は声高に言いたい。彼は我々人間すべてに 備わっているポテンシャルを”誠実”という名の種に、毎日絶えず水を与え続けてきた人であ る。雨の日も嵐の日も、吹雪の日も忘れることなく、しっかりと水を与え続けた。その結果、元気で高潔な芽が太い根をさして育っていった。

やはり私にとって尊敬に値する人物である。彼の人生から”誠実さ”だけでなく、真実と非殺生のパワーを教わった。世代を超えて彼の思想を少しでも取り入れることができたことに感謝したい。

今一度、ガンジーに感謝の辞を送りたい。

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2008年10月24日 (金)

Gahndi

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今日は尊敬するガンジー氏の自伝「ガンジー自伝」を読んでいるのですこしそこから。

自分自身なんとなくガンジーを崇めているのですが実際ガンジーという人はどんな人か詳しく知りません。よくガンジーが我慢強い人とか、平和主義とか、優し い人の形容詞としてしばしば使われることがあると思います。そんな中でやはり自分もなんとなくガンジーという人はすごいんだというようなイメージを持って いるのだと思います。今まで読んだ自己啓発本の中にさえも、「ガンジーでない限りそんなことは無理でしょう」とかなんとかとにかくガンジーのすごさはピカ イチのように思えます。

自分がアメリカに留学中、Phillyに遊びに行ったとき道端にガンジーの像がありました。私は思わず喜んで尊敬する我らがガンジーと写真を撮りました。 そのときは結構はしゃぎましたねーw そうです。あたかも自分はガンジーのことをしっています的な行動をしてきたにもかかわらず、ガンジーについてはほと んど無知なのです。それが今回この本を読んでいる理由ですかね。

そもそも自伝というのは西洋の奇妙な習慣なんですってねー個人主義のなかで自分を表現するための手段とかなんとか。でもガンジーはそうではなくて自分が実 験してきたことを失敗を余すところなく紹介していくという意図で本書を書いたようです。本書の中でもガンジー本人からの失敗談をもとの読者への戒めがとこ ろどころあります。

本書を読む前はどんなにすごい一生を過ごしてきたのだろうと、かなり意気込んで本を開いたのですがちょっと拍子抜けでした。拍子抜けというかガンジーも人 の子で、小さいころはふっっっっつーーーーーのガキです(こんなこといったら失礼ですが・・・)。悪さもしたみたいだし、色々と考えつつも普通のキッズが する悪さとかはしていたみたいです。そんなことを読んでいると、ガンジー本人も言っている通り人間同じだから私のできることはみなできるというようなこと が言えるのではないかと思います。

まだまだ読み途中ですが、学ぶことがじわじわと出てきそうな気がして夜も眠れません。

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2008年10月21日 (火)

problems' problems

「問題発見プロフェッショナル」という本から今日は少し。

しっかりと問題を捉えることができていないと、それが命取りになる。非常に簡単そうで難しいことだなと思いました。基本的に私たち日本人は、小学校のころからとにかく問題に対して早く答えなければならないというようなスピード重視で大学受験まできました。

そんななかでは問題に対する問題意識も生まれず、それが実際社会人になったときに間違った問題に対して必死に取り組んでいくといった負のジレンマに陥ると いったことになるようです。問題に対してさほど重心をおかずとにかく問題を解決することに苦心するというのが私たち日本人についてしまった習慣のような気 がしました。

そもそも問題とは今ある姿と、理想の姿のギャップのことを言います。そのギャップを埋めることにより問題解決という方向にもっていくことができるというの です。しかし問題はその理想の姿が間違っていたり、そのギャップを埋める知識、スキルが足りなかったり、ギャップの具体性に欠けて行動段階にブレイクダウ ンできていない場合などなど様々な問題の問題があるようです。

ちょうど先日、内定先に行って来たのですが、サービス業ということもあってコンサルの要素も十分入っているということに気付きました。コンサルだけとは限 りませんがこの問題発見の知識というのは、社会に出る上でなかなか必要になる知識とスキルではないかと思いました。難しいそうな書籍でしたが中身を開いて みると意外と読みやすかったりします。学生にでも。

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2008年10月19日 (日)

Just Listen

今日は「人を動かす」からDカーネギー本人の言葉ではないのですが、本書から引用したいと思います。

「敵をつくりたければ、友に勝つがいい。味方をつくりたければ、友に勝たせるがいい」。その理由ーー人間はだれでも、友よりもすぐれている場合には重要間を持ち、その逆には、劣等感を持って絶望や嫉妬を起こすからである。

これは自分の日常生活をみなおしてみて思うことなのですが、口で言うのは簡単ですが実際に行動に移すのは難しいものです。やはり人間だれでも、特に自分は、私自身のことを認めてもらいたくて自分の話しをしがちです。それはやっぱりこの本に出ている「人間は重要性が必要」という言葉に象徴されているのでは ないでしょうか。

人間は自慢したいことなど山ほど持っていると思います。実際謙虚な日本人でさえ、心の中で自分のここがすごいとか、自分はここら辺が他の人と優れているとか、そのような気持ちを持っているはずです。少なくとも私は持っています。しかし、それをひけらかして生活しているようでは、友人はできないはずです。普通に考えて自慢ばっかりする人は好かれませんよね。

逆に自慢話を聞く側に回ることにより、相手に重要感をあたえる。これが本書のこの引用文がいわんとしてることだと思います。

明日から聞き手に回ることに専念しようかなと思います。

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2008年10月 6日 (月)

重要性を持たせる

今回はDale Carnegie 著のHow To Win Friends And Influence Peopleのなかから一部を。まだ読み途中なのですが、学ぶところが多いと感じながら読んでます。自分の一番尊敬するガンジーに近い感じがします。しか しながら私はまだガンジーについてイメージと昔学んだ少しかすれかけている知識で尊敬しているので今度はガンジーの本でも読んでみようと思います。

と、話が横にそれつつ、もつれつつ。
一つの章の中に”重要性を持たせる”ということがトピックのものがありました。その中に、世の中で起こる大きく分けて2つの例を出して説明していました。 それはよい意味で活躍し世の中に自分自身の重要性を認めてもらうというものです。自分が考え付く例としては、イチローとかそうではないでしょうかねぇ。メ ジャーリーグという世界の舞台で日本人として優秀な成績を毎年おさめている。様々な賞などで彼の重要性が世の中に認められていると思います。

もう一つの正反対な手段は犯罪です。これは本書にも載っていた例なのですが自分の重要性を気付いてほしいあまりに残虐な犯罪を繰り返し自己主張をした。別 に人を傷つけたい訳ではない。自分という存在価値を見出すのに犯罪を犯すことで世の中から”負”の重要性を持たされたといえるのでしょう。

そんななか読み進めていくと、精神病の例が出てきました。非常に高い理想と欲求を持って結婚した夫婦がいる。とりわけその理想と欲求を持っていたのは妻だ けであった。結婚後は理想の世界とは違い夫は冷たく、妻自身が考える理想の結婚生活とはかけ離れたものとなっているのが現実となった。そんななかで彼女は 自分自身への重要性を見出せなくなっていく。不運なことに彼女は精神病患者となって病院にいくことになる。

彼女は毎回その精神病院の医者と会うとき「子供が生まれた。」というそうです。子供がほしかったという理想が現実の生活で打ち砕かれたからです。その精神 病院の医者に言わせると、精神病は5割くらいは細胞自体が破壊されてしまって異常をきたすようになるというものと、細胞にはなんら健康な人と変らないにも かかわらず精神病患者となる2パターンがあるという。今回の結婚に失敗した女性は後者のほうだという。

自己の重要性を渇望するあまりに、狂気の世界にまではいって、それを満たそうというものも、世の中にはいるのだ。だとすると、われわれが正気の世界でこの望みを満たしてやることにすれば、どんな奇跡でも起こすことができるはずではないか。」

この章の中にはたくさん引用したい文があるのですがきりがないので。

この章に書いてある通り、私はまず自分のすごいところとかより、他人の重要性を認めて、引き出して、尊敬して、奇跡を起こしていきます。そのように生きることは自分にとっても相手にとってもプラスになることは明らかだと思います。

難しいと思うけど今日から一歩ずつ。

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2008年10月 5日 (日)

大きな習慣は小さな習慣から

今回もレバレッジ・シンキングの中から意見を書いていきます。

題名にもあるとおり「大きな習慣は小さな習慣から」ということをこの本はいっています。

この本の著者である本田さんは様々な習慣を身につけているみたいです。中でも5時に起きて風呂にはいって読書をするというのはなかなかのつわものだと思いました。

本の中でも紹介されているもので、大きな習慣といったら「家を綺麗にする」というものがあります。自分もこれについては幾度となくチャレンジして失敗に終 わっています。机が汚すぎです。いつになってもきれいになりません。ではなぜ習慣として身につかないのか?そうです「大きい」からです。

小さい習慣というのは「使ったものは元の位置に戻す」とかそういった具体的な内容のものです。実際、自分もこのように「使ったものは戻す」というように やっているといつの間にか机の上がきれいになっていくのが分かります。するともっときれいにするにはどのような小さな習慣が必要か考えます。するとさらに きれいに・・・きれいに・・・・と好循環が生まれます。

最初は疑っていたのですが、実際行動に移してみると本当にそのとおりになりました。まだまだ本から学ぶことは多そうです。

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2008年10月 4日 (土)

Time Management

今回はレバレッジ・シンキングby本田 直之著 の中に書いてあったものが自分の経験として一致したのでそこらへんを少し。

その中でも時間の考え方については自分も納得がいきます。

この本を読む前にいつもはだらだらやっている宿題をその日は用事があったので時間を区切ってその時間内にやってしまおうと思いました。いつもは1時間くら いかかるような宿題だと思います。それを出かける用事を逆算して30分で終わらせる、と目標を立てました。いつもはいろんなことに途中で手を出したりして しまうのですが、時間が決まっているとそうもいかず30分という時間の制約によっていつもよりは効率的にハイスピードで宿題に取り掛かっていました

ふたをあけてみるとその宿題は20分もしないで終了することができました。自分でもすこし「やればできるじゃん!笑」というような感じです。時間制限を設 けるだけでこれだけ違いが生じるというのは信じがたいものですが事実です。どこその本にも同じようなことが書いてありましたが実際自分は時間に縛られるの がいやなので実行していませんでした。しかしひょんなことから、実験的にやってみたらこの結果です。

今まで読んできた自己啓発本の中でどれだけ行動に移せていないかということが表れていますね。それは今回も同書のなかで説教のように書いてありました。まさに僕のことです。お恥ずかしいです。本当ならもっと活用できるのにしていないのと同じことですから。

ブログを書いている今もタイムマネジメントを考えてタイプしています。するとやっぱり効率が上がるものですね。実感しています。時間に縛られるのがいやと いうのは、それは逆に言うとだらだらとやっていることで実際には非常にタイムロスであって、後のほうでツケが回ってくるように思えます。

時間制限を設けてやることに取り組むことにより、いつもより時間がかかっていたものより短い時間で終わらせることが可能になる。ということはその余った時 間は他のことにあてられるということになります。時間を作ることができるのです。これはとてつもなく有益なことではないでしょうか。時間が手に入るので す。お金で買えない時間が、自分の時間制限によるタスクの効率化をするだけで手に入る。こんないい話は世の中探し回ってもなかなかないと思います。

さてさて、
これを書くのが予定より15分早く終わってしまったので、宿題にでも手を出したいと思います。

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2008年9月10日 (水)

「時は金なり」は間違いだった。

前に書いた「自助論」からもう少し。

「時は金なり」ではなく「金以上なり」。そのくらい時間というのは価値があるということみたいです。いや、あります。

はっきりいって時間だけが平等にみんなに分け与えられます。これだけは誰がなんと言おうと絶対に普遍の事実です。生まれながらに障害を持っている方はどうなんだとかっていわれてしまうとそれまでなのですが、ここでは一般的に障害がなく生きていける人ということにします。

結局、「あいつはすげーよ」「あの子にはかなわない」「あんなことは私には無理」などなど、それは「あいつ」や「あの子」があなたよりうまく時間を使って いるからに過ぎないと思います。私の友達にも一人だけずば抜けて成績がよくてスポーツ万能君がいました。しかし良く考えてみれば、そのとき自分は遊んで ばっかりでした。そりゃ遊んでれば頭も良くなんないすね~でもそのときはみんな「あいつは天才だね~」とかって口をそろえていってました。彼はきっと時間の使い方がうまかったに違いありません。

自分で自分の時間を無駄使いするのはいっこうにかまいません。しかし、他人の時間を盗むような、壊してしまうようなことをするのは「時は金以上なり」とい うのですから罪になってもおかしくないですよね。現に秋葉原でたくさんの人の時間を永遠に奪ってしまった人がいました。その人は奪った人の分の時間を自分 で償おうと思っても足りません。自分で償えれば他人の時間を奪っていいってわけでは全然ないんですが、その奪った時間をすべて償うということは無理です。 唯一平等であるものを奪う罪というのは実際に裁判で判決が出されるより重くなるはずです。

もっと身近な例で見てみると、遅刻です。友達と待ち合わせをしていて遅刻をするとか、学校に遅刻するとか。学校だと遅刻すると、授業が遅れたりとみんなに 迷惑がかかるのでその償いに放課後ごみ拾いをしてました。(私の学校では。)会社で得意先との話し合いに遅刻すると、その代償として信用を失います。遅刻が信用喪失という形になって帰ってくる。治し難い事態に陥ってしまいますね。そう、いくら遊びで待ち合わせしているといえども、友達でも時間を奪った罪は 大きい。自分の金をまきあげられた以上に。でも実際はそこまで過激に考える人はいませんね。私もそうです。

というような感じで「時は金以上なり」使い方次第で黄金以上の価値が見出せる全員が持っている、平等で、なおかつ最上級の財産である「時間」。これを使わない手はないでしょ!
さーて、明日も6時半に起きるとしよう。

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2008年9月 8日 (月)

批判されるということ

今回は「失敗学のすすめ」という本から。

失敗をもっと体系的に捉えてそれを次に生かせるようにしっかりと失敗に向き合おう。というような本です。

そのなかで面白いなと思ったことを一つ。

自分の創造したものを他人にしっかりと批判してもらうというプロセスです。私の身近な例を使って説明すると、卒業論文なんか自分の創造するものではないでしょうか。

私のゼミでは個人が書いた卒論を最終提出前に発表するという段階があります。そこでは担当の講師の方の意向というかやり方で、学年関係なくとにかく疑問に 思ったとこ、分からないとこ、だめなとこ、などなどそれぞれが一生懸命書いた卒論に集中砲火が浴びせられます。なかなか辛いことでしょうね。

当然現在私の書いている卒論にはしっかりと努力を注いでますし、それがいきなりいろいろ口出しされたら「は?」ってなるのは当然だと思います。怒りますね。

しかしこの本によると「この試練を経験したものは研ぎ澄まされた形でそれを完成させることができる。それにくらべれば周りの批判に感じる一時の不快などは本当に取るに足らない」ようです。

なるほど、自分の作品をさらによくするために多少は自分が「は?」と思うようなことを言われても作品自体がよくなる方法なので多めに見れると。

確かに自分の卒論の目標は一番評価されるものを書く、なのでなかなかいい機会かもしれませんね。

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2008年9月 7日 (日)

勤勉という才能

今回は「自助論」というサミュエル・スマイルズ著の本について書いていきたいです。

その中の印象に残ったフレーズに「この世のありとあらゆるもの、例えば時間を黄金に変えてしまう。」というところがある。

天才の資質の中に勤勉という能力があるといっている。勤勉な人はすべての人が平等に与えられている時間というものを非常に上手に使っている。天才と凡人の違いの一つであるといえる。

時間の使い方、例えば朝寝坊をして10時ころに目が覚めてなんとなくその日をはじめるとしよう。私もそのような時間の使い方をしたことが多々ある。それと は逆に7時に起きて自己啓発のため読書をお昼までしたとしよう。確かにだらだらと布団の中に入っていているのは気持ちがいい。しかしそれはそのときだけ の、瞬間的な楽しみと喜びであってそれが永遠に続くことはまずない。逆に3時間早く起きて読書をしたとするとその3時間が将来の投資の時間となるのではな いでしょうか。

いつもより3時間早く起きるのは多少辛いかもしれない。でも自分に鞭を打って、意識を高く持ってまずは1時間でも早く起きて勉学に励んだとしよう。もちろ んその結果はすぐに現れるということは考えにくい。しかし中・長期的な目で見てみるとどうだろうか。朝の何時間かが自分の将来に光を与えてくれたとした ら。充実した生活を送るヒントを得たとしたら。その朝の時間は自分にとってお金より価値のあるものといえるのではないでしょうか。

私は少なくともそう思います。

この本自体はたくさんの著名な人の例が載っていてなかなか面白いと思いました。昔の人の体験を知る。本ならではだと思います。各章ごとにテーマがありそれ に沿ってたくさんの例が添えてあります。分かりやすい例ばかりなので面白いと思います。それから何個か「おーーーー!!」って言うようなフレーズがありま した。参考にして実生活に生かします。

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2008年8月25日 (月)

Expectationz

「人を<嫌う>ということ」という本の中から印象に残ったことを少しだけ。

期待というのはどうも持ってはいけないようです。持ちたい人は持ってもよいと思いますけど。

でも、期待というのは、相手に対してもそうだし、相手に対してももたれてはなかなかややこしいことになる。

例えば期待を持って相手に接して、その期待が全然見当違いで、その期待を裏切られたとしよう。期待を裏切られたほうは、傷つきますよね。

そもそも期待とは、相手に多少なりとも依存することから始まるのではないだろうか。自分が相手に持つ期待というのは、相手によってしかその期待は変えるこ とができない。期待をする自分にとってみればどうしょうもないものである。自分で操作できないものは、首輪を取られた犬のようにどこへ行くのか分からな い。いってみればギャンブルのようですね。

仮にそのギャンブルで負ける確率が高いのであれば、期待というギャンブルは自分にとってかなりのリスクになる。さらにそのギャンブルにかなりの金を賭けて いたら負けたときの損失はおわかりであろう。実際の世界では、期待では普通自分の精神をどれだけその期待に賭けるかどうかということになってくる。期待の 質と量が多ければ多いほど、リスクも高い。まさにギャンブルである。

勝てる試合であるのであれば、わざわざ勝率の分からないギャンブルにする必要はないと思います。

また前に書いたものとつながってますが、自分で自分の人生を作ったほうが自分独自のものになります。当たり前ですが、他人に左右されない自分の生活。期待ということからもアプローチができるみたいです。繫がった!

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2008年8月21日 (木)

日々是鍛錬+α

今回はもう一つ気になったことを「勝間和代のビジネス頭を作る7つのフレームワーク」から書いていきたいと思います。それとプラスアルファで小言を。

簡単にまとめると毎日が自分を伸ばす場になるということです。考えようによってですが。ただなんとなく毎日を送っている人と、何かを意識しながら生活している人では成長のスピード、人間的として、社会人として常に先を行くことができる、もしくは充実した生活を遅れるのではないかということです。

これは私の大学の国際協力の講師の方の話なのですが、普段の生活の中で何かが国際協力に結びつかないか常に意識して生活しているようです。どんなものでもとりあえず無理につなげてみる。職業病のようなものといっていましたが、プロとしてやっていくにはそのくらいになる必要があるのではないでしょうか。

やはり何でも練習をしないとできるようにならないのと一緒ではじめっからできるひとなんでいませんね。できる人っていうのはやっぱりそれなりに努力をしてそれでできる。努力の結果そうなったというわけで特に魔法を使ったわけでもないし、当然のことといったら語弊があるかもしれませんが普通に受け止められますね。

その当たり前のことがなかなか難しいんですけどね。

ここからは話を変えて今日気付いたことを一つ書きたいです。

実際に思ってるということはそのまま現実になるということです。

今日は疲れてたのですが、内定者の飲み会がありました。それでも楽しもうとは思っていたのですが、その疲れてるから・・・っていうのが頭から抜けなくて結 局大体を疲れた感じですごしたようになってしまいました。思いは現実になる。いいことも悪いこともそうみたいです。さらに続けると先日のアルバイトのこと なのですが、それが営業のアルバイトでその日の契約が一つも取れないという緊急事態が発生しようとしていました。でも1つくらいは最低とれる。むしろと る。と思っていたら本当にあがり時間の10分前に1つ契約をいただきました。

そのくらい「思っていること」っていうのは現実の世界に影響を及ぼしてくるのだなと実感しました。だから生活を楽しくするためにも、楽しくなるということを、または楽しくする!ということを思って行くということを常に心がけたいと思います。

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2008年8月18日 (月)

三毒追放

今回は「勝間和代のビジネス頭を作る7つのフレームワーク」についてです。

題名からしてビジネスマン向けの書籍だと誰もが思うのですが、私ももちろん学生なので多少抵抗があり買ったわいいがなかなか手がつけられませんでした。

読んでみるとそれはやはりビジネスマン向けの内容が盛りだくさんでしたが、学生にもじゅうぶん参考になる内容ではないかと思います。

今回はその中の一つ「三毒追放」について触れたいと思います。

三毒とは「妬む、怒る、愚痴る」です。この三毒が人間をむしばむものになり、人生に悪影響を与えるというのです。もともと仏教の考えらしいのですがそれが現代社会に、人間の生き方に、非常に密接に関わっているということは様々なこれ関連の書籍を読んでいけばつながっていると私は思います。

「As A Man Thinketh」でいうところの、腐った土壌からは何も生えてこない。というのと同じではないでしょうか。毒のある考え方をすると、毒のある生活を送る。清潔な考え方を持っていると、清潔な人生を送れる。

著者の勝間さんの体験談でこの三毒を紙に書いて目の見えるところに張っておいたら、タバコとお酒がやめられたといっていました。なんどもなんどもタバコや お酒をやめようと思っていてできない人には信用できないような話かもしれないですが、私の考えではどんなニコチンガムよりこっちのほうが効力があると思い ます。

お酒の助けを借りずにしっかりと人生を送ることができる。つまり体がしっかりと浄化されて綺麗な状態にあるので、お酒やタバコに手を出さなくても大丈夫と いうことではないでしょうか?三毒が体の中に回っていないから特に居酒屋に行って愚痴をこぼすこともない。怒りもないので別にいらいらして健康を害すもの に手を出さないようになる。そして妬むこともない。なんかもう仏様のような人ですね。。。

S自分で勝手に図にしてみました。かっこよく英語で。でも三毒がある人がaverage peopleってのもおかしな話ですが。とにかく言いたいことはwithout three venomの人のほうが少数ではないかということです。そして人間的にも三毒をもっている人たちのほうがレヴェルが低いということです。三毒がなければ、 毒をもっている人たちのことを逆におかしく思えてくるのではないでしょうか?


ちなみに自分も今日からスクリーンセーバーが三毒追放になりました。すぐに行動に移す。これ基本中の基本!



 

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人を尊敬するということ

今回読んだ本は「心が軽くなる本」というものです。

特に自分自身鬱ではないですし、毎日充実した大学生活を送っています。とはいっても今は夏休みですが。そうでなくても、本から学べるところは盛りだくさんだと思います。

この本の中で「あなたを尊敬します」という奥さんの一言が”黄金の言葉”ということで夫のうつ病を治したということでした。

こんな奥さんはなかなかいないのではないでしょうか?大学生のわたしが言うのも何なんですが、むしろ女性に対してはno offenseです。こういった女性を見つけるのは難しいのではないかと、ふと思いました。

しかし・・・私は別にそういった女性が現れるのを指をくわえて待っている、そんな人間にはなりたくありません。受けみな人間には。それでは人生が損になってしまうのではないかと思います。

ではどうしたらいいのか?受身の逆である積極的になればいいのである。それが最善の策かどうかは分かりませんが、まずgiveすることではないでしょうか。そこに尽きると思います。

無償の愛をみんな(特定の人)に振り舞く。仙人になる。自分が愛を与える。そうすれば相手もそれに気付いてくれて愛が戻ってくる。そんなにうまくいくはずがねーよ。と思うかもしれませんが私はそうだと思います。私の経験からも実際にはそうでしたし。

さらに先日、友人の恋愛相談を受けていて「どうしたらいいの」といわれました。その答えとして、私は大体今言ったことと同じようなことを言ってみました。 自分では十分理解していたつもりだったのですが、実際言葉にしてみるとなかなか難しいということが分かりました。私の説明力不足と理解不足と、とりあえず 色々な不足が重なってそうなったのですが。

頭で分かっていても言葉にするとなかなか難しい。そんなことをつくづく考えた日でした。

話がそれてしまいましたが、「あなたを尊敬します」という言葉は、とても力を持っている言葉ではないでしょうか。その言葉は相手の存在を肯定し、さらに敬 います。自分という存在が妻に敬われるということ、夫としては精神的にとても大きな糧になることは間違いないと思います。

実際、彼氏と彼女でもそのような言葉を言い合えるくらい真剣に付き合い、相手を理解し、さらっとそのような言葉が口から出る人はどのくらいいるのでしょう か?そのような信頼関係が生まれているとき、さらっと出た一言がものすごいパワー、時には凶器となり、相手に影響を及ぼします。

私は全員の人は尊敬できないですが、より多くの尊敬できる人とこれから逢っていきます。そしてまた自分もそのような言葉を言われるにふさわしい人物になります。絶対に。

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