通勤時間不要論
今回はちょっとお休みしていた「フリーエージェント社会の到来」から思いついたものを一つ。
ピーター・ドラッカー
「本当に必要なのは重さ一キロちょっとの脳みそだけなのに、どうして企業は80キロもの体を都心のオフィスまで30キロも運ぶためにカネを払うのか?」
果たしてこれは正しいのか?
賛否両論あると思います。
よくよく考えてみると、通勤時間というものは非常にムダがあります。
昔のブログからちょっと引用。
「40年間同じとこまで30分間往復満員電車通勤と考えると、9600時間満員電車の中で過ごすこ とになります。さまざまな要因を考慮して1000時間引くとすると、8600時間。日数で計算すると358日、つまり約1年です。」(道は開ける FINAL PART・http://de-paz.cocolog-nifty.com/locoloco/2009/03/finalpart- 6906.html参照、3月11日)
通勤時間がなくなるということは1年自分の寿命が長くなるということを意味します。
様々な理由があるにしろ、個人として考えたときにこの1年は非常に長い時間になるのではないでしょうか。
時間だけが私たちに与えられた唯一平等なものであるのに対し、会社の規則に縛られ1年を棒に振るのには首を傾げます。
しかし通勤時間をうまく活用している人も多くいると思います。だから単純に全員が1年無駄にしているとはいえません。
これは企業としても通勤手当のコストとなるし、1日に1時間の空白の時間ができるため従業員のモチベーションも維持できる可能性が出てきます。
それからよく企業は住宅手当なるものを当たり前のように従業員に払っています。
単純計算します。
会社の規模:2000人
住宅手当:3万円
(例外:実家から1時間以内で通えるものは除く)
住宅手当をもらう資格がある者:社員の50%
とします。すると年間どれだけの費用になるでしょうか。答えは3億6000万円です。
企業からの視点で見るとたいした額じゃないかもしれませんが、ちりも積もれば山となるで、馬鹿にはできない数字だと思います。
もちろんこれ以外の1000人には当然通勤手当がつくので、その分の負担も負う事になります。そうすると大体4億は年間費用と消えていくこととなります。
どうでしょう、現在の社会を見回してみると会社のスリム化、節約などといってボーナスカットやら、社員の給料カットやら、いろいろありますが視点を変えれば(かなり抜本的な改革が必要になりその費用がかかるかもしれませんが)改善されるという可能性は無きにしも非ずです。
通勤時間の問題については今回だけでは書ききれない部分が多すぎるのでこれだけで一本の論文でもかけてしまいそうですね。笑
今回はまずここまで。
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